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昭和町の歴史

地名の由来

昭和町は、甲府盆地を取り囲むようにして流れる釜無川と笛吹川にはさまれています。大昔から水害に悩まされながら一方では水をうまく利用して生活し続けてきました。
西条

中世、現在の甲府南国母に対し、河流の西に位置したことからの地名です。小字・小名に「さい神」があり、道祖神が祀られていました。

清水新居

豊かな湧水の地に開けた集落。「新居」は「新田」よりも古い地名で、戦国時代にはすでに村の名前が記録されています。小字・小名の「宮の上」の宮とは、諏訪神社をさします。

西条新田

江戸時代初期、西条村の河原を開墾し、新田一村を設けました。西条村の子村といえます。小字・小名の「砂田」は砂の多い地、「神の木」は神祠や神木があった土地です。

押超

釜無川の川向こうを開墾してできた集落です。「甲斐国志」の「河沼等ヲ打コシテ開墾」の記述が、地名の由来を示します。川の氾濫した地を開墾した苦労も偲ばれます。

河東中島

釜無川が荒れ、川筋が乱れていた頃、浸水をまぬがれた中州に集落が形成されたといいます。小字・小名の「川代」は、川を田に代えていったところといわれています。

紙漉阿原

水のある地を「あわら」というところから、豊かな湧水を使って紙漉業が起こったとされています。徳川家康の印判状・天正十一年(1583)にも名が記されています。

築地新居

築地は、土や泥をつき固めた土手をいいます。釜無川の氾濫を防ぐ堤を築き、新しい集落ができたことも、うかがわせます。小字・小名の「水の宮」は水神を祀った所です。

飯喰

信玄提を築く人々が、この地で炊飯をしました。信玄が視察の折、昼飯をとったとも伝えられます。小字・小名の「堀尻」は川の合流点、「水上」は山伏川の上流です。

河西

釜無川の西の集落てであったことをさします。河東の地名と対比してみると、その昔、提が築かれる以前の釜無川は、両地区の間を流れ、南下していたことがわかります。

上河東

釜無川の東に位置することからの名であるといいます。また、鎌倉時代、甲斐源氏の安田義定を討った加藤景廉の所領「加藤郷」に由来するともいいます。

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